院長の独り言(満天の夜空では星が瞬く…)
2011/03/28
東日本大震災から今日で17日が過ぎました。
患者さんたちの話しから多くの事実を知りました。
実際に遭遇した人のお話しは、映像が目に浮かぶような臨場感を持って迫って来ます。
わずかの差で生き残った人、そして不幸にして災害に見舞われた人…
多くのものを失いました。
それでも生かされたからには、みんなの分まで頑張らんといけません。
痛みを分け合いながら、それらを背負い込んで、それをエネルギーに変えて、必死にやらんと…それでもきついかも分かりません。
街は、いや日本の復旧は、まだまだこれからです。
昨日栃木の後輩と二人で、石巻で経営する後輩の接骨院に陣中見舞いに行って来ました。
ここも港に近いところでは津波により多くの人命が失われたところです。
何年かぶりに訪れたその自宅兼整骨院は、1階は全て汚泥が体積し機械やベットを始め、床一面が無残な状態で放置されていました。
地元避難所でのボランティアに、我が家の片付けさえ間々ならない状態です。
周辺での住宅崩壊もあり、流された車が川に連なって流れ着きそのまま放置されているのも見てきました。
汚泥とゴミの山が街のあちこちに積まれています。
気仙沼同様悲惨な状況ではありました。
後輩の整骨院も、外観は保たれているので何とか時間をかければ診療の再開は可能と思われます。
誰もが大変な事態でしょう。
大きな余震も相変わらず毎日のように続いています。
頑張る気力を奮い立たせてやるしかない!
今日多賀城から来た男性の患者(30代)さんも「人生観が変わる体験でした」と語ってくれました。
大地震の直後、多賀城周辺で下水が噴出しました。「津波が来る!」車で逃げた人の多くは渋滞で動けず、津波にさらわれてしまいました。
「今10メートルの波が来てるらしいから高い建物に逃げて!」
それを信じる人、信じない人、車で逃げる人、走って逃げる人…
「10メートルの津波が…」それを信じた患者さんの彼女は、車を置いて徒歩で高い建物に逃げ込みます。
間もなく一面が海と化しました。
直後の連絡で彼は仕事場(アンテナ設置の仕事で高台に)から、彼女を救出に向います。
膝まで浸る海水を掻き分けながら、線路伝いに目的地へと歩を進めます。たまたま知り合った男性3人が、太陽が沈み街灯もない中、それぞれの大切な人に逢って無事を確認するために…
石巻と違い、多賀城は海水そのものが陸を覆いました。
海水の表面には発光性の海洋生物が無数に泳いでいます。キラキラ光る小魚と、上を見上げれば満天に広がる星空。
そして、遥か遠方にある石油コンビナート。爆発炎上する度に3人の顔をオレンジ色に映し出します。(結局胸まで海水が深くなり断念。翌日無事救出する。その間、車の中で果てている多くの被害者に手を合わせながら…)
その時気仙沼では、大地震直後に高台に逃れようと車を走らせたものの、渋滞を見てすぐ近くの公民館に逃げ込んだ母が…公民館の2階の窓から外にある鉄格子を伝って屋根に上がり、満天の星空を眺めていました。
その数106名。「頑張れ!速く登れ!怖くないから!大丈夫!」老若男女問わず励まし合い、決死の覚悟で外の鉄格子から屋上へと這い上がったのです。
斜めの屋根に、106名の人達が固く抱き合って寒さをしのぎながら、眼前に広がる光景に目を凝らしていました。
一部の屋根を残し全てが海で溢れ、ここでも石油コンビナートの爆発炎上と共に重油が流れ出し、いたるところで火災が発生し黒煙が立ち込めました。(106名はここでふた晩、夜を明かしたのちに自衛隊のヘリで救助されます。)
地震当日、家の前で私と息子も、小雪舞い散る寒空を敢えて外に出て、無数の星が瞬(またた)くのを眺めていました。
停電による暗闇が、満天の夜空に広がる星屑の輝きを届けていたのでした。
大地震の当日、何人の人がどんな思いであの星空を眺めていたのでしょう。
「それでも天を憎まず」
被災者である中学生の言葉だと聞きました。
毎年3月11日の夜。日本全国が晴れ渡っているなら…災害を忘れないためにも、10分でもいいから国中の灯かりを全て消して、日本に住む全ての人が、満天の星空を眺めるために外に出てみるのもいいかも知れないなあ…
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五輪整骨院
住所 : 宮城県仙台市宮城野区五輪2丁目10−8
電話番号 : 022-762-6216
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