院長の独り言「遅いぞ武蔵!」
2008/12/20
今日は日中15度位まで気温があがったのではないでしょうか。ところが午後から急に冷え込み雪がちらほら、この時期天候の変動は急激です、心して対応しましょう。
今日は「重力に抗して立つ」その奥儀について、少し考察してみたいと思います。
いきなり時は戦国時代…当時の戦(いくさ)における戦いは数対数であり、士気の高まりが勝負を左右し、気力とそして何より体力が勝敗の鍵をにぎっておりました。
ご存知、天下分け目の関ヶ原の戦いでも石田三成方の武将の多くが徳川家康方へとくらがえしたように、これでは指揮の統制はとれなくなりましょう、そして兵の絶対数の違いは相手の軍門に降る決定的な要因ともなってしまいます。
その三成家についた武士の中にかの剣豪宮本武蔵がおりました。武蔵この時弱冠17歳、合戦の手柄による出世への夢も叶わず、その後徳川幕府が開かれ戦国時代も終焉を迎えます。
出世の望みをたたれた宮本武蔵は、武芸者として名をあげる決意をします。京の吉岡清十郎、伝七郎、そして吉岡門下百数十人を一人で倒し、その後も果し合いにて数々の名勝負を繰り広げました。
最も有名な佐々木小次郎との巌流島での決闘…「遅いぞ武蔵!」「小次郎敗れたり!」「勝者何ぞその鞘を捨てん!」小次郎の3尺の太刀による燕返しを武蔵はさらに長い4尺の木刀にて返り討ちにいたしました。
突然ですが、私この巌流島の決闘に想いを馳せると、つい世紀の対決!アントニオ猪木VSマサ斉藤を思い出してしまうのであります。2時間以上にも及ぶ今世紀最長の無制限一本勝負であり、当時のアナウンサーは若き日の古館一郎でした。(去年、国分町のアントニオ猪木酒場にて久々に鑑賞!)
それともうひとつ、10年以上前片山晋吾がジャンボとのゴルフ決勝ラウンド最終日で優勝争いをしていた時、47インチの長尺シャフトのドライバーを使い当時はまだ気を吐いていたジャンボ尾崎に飛距離で圧倒し、パッティングの際は、呆れるほど長いルーティーンを繰り返しては入れまくり、(「遅いぞ晋吾!」パットに時間かけすぎだぞとジャンボが云ったかどうか?)当時誰もがジャンボのオーラと威圧感に屈していたゴルフ界で、新たな新生賞金王が誕生したのを思い出します。
話がそれましたが、今日のテーマ「重力に抗して立つ」その極意は、戦国の世から太平の世へと移り変わり、数対数の武力から個対個の果たし合いへ様変わりし、宮本武蔵を筆頭にあらゆる剣術家が凌ぎを削り合い、1対1の真剣勝負でもって剣術が頂点に達していった時、その剣術家の「構え」に重力姿位の完成を見たのです。
剣術は次第に居合いへと進化していきます。相手は抜身での一太刀をこちらは差し身の状態から抜刀し先を取って切り殺します。二の太刀は無用の世界であり、果し合いの究極は両者切っ先を合わせたまま動けず、どちらかが降参し刀を降ろした瞬間に勝負がついてしまうものでした。
二天一流宮本武蔵は晩年五つの構え(上段、中段、下段、八相、脇構え)を捨て、両手をだらりと下げる無双の構えにたどり着きます。この構えこそ、重力に抗し無駄を排除し脱力しきった姿位の完成でした。
「脱力」力を抜ききることの奥の深さは現代の武術にも継承され、達人と呼ばれる方々によりそれぞれの分野で今も生かされています。
高岡英夫という人物も現代に生きる達人と呼べる方であり、究極の技を現代に蘇らせた武術家であります。彼は武蔵の無双の構えに究極の「脱力」を見出しました。そして武蔵の当時の動きを今の時代に再現してくれたのです。
続きは次回!
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