院長の独り言(「メカニカルリンク」①)
2010/07/22
今から130年以上前、A,Tスティルによって創始されたオステオパシーは、長い歴史の中、西洋医学に追いつき追い越す勢いで発展してきました。
メディカルドクターと同等の教育と特別な手技の教育を受けることで、現代ではM,Dと同じ資格を得るようになりました。
しかし、それは逆に手術と薬に頼る、近代メディカルドクターと変わらぬ、単なる資格保持者になってしまったとも云われます。
逆に云えば、西洋医学に取り込まれていってしまったとも云えなくもない状況も一部には見られます。
しかし、A,Tスティル没後その哲学を脈々と継承する偉大なオステオパスも後に続々と登場していったのです。
サザーランドD,Oしかり、トム・ダマーD,Oしかり、フルフォードD,Oしかり、フライマンD,Oしかり・・・
一方、アメリカで発展したオステオパシーはリトル・ジョンD,Oによりイギリスへと渡りました。
そこでオステオパシーは「手技」を中心にさらに開花していったのです。
アメリカからイギリスへ、そしてヨーロッパへと手技を中心としたオステオパシーは広がっていきます。
今から40年前「メカニカルリンク」の創始者であるフランスの「ポール・ショフール」は、当時イギリスのオステオパシー大学を卒業します。
フランスでは当初オステオパシーは認可されておらず、オステの手技をすることは法律で禁じられていました。
その後フランスでもオステオパシー大学は設立されますが、法的に禁じられている状況は変わらず、「学校でオステオパシーを教えるのは認められても、手技でオステオパシーを行うことは禁じられている」と云う、矛盾した社会環境にありました。
それでも患者を救うべく、母国のフランスでオステの手技を行ったポール・ショフールは、これまで4度裁判所に訴えられた経験を持つと云われています。
法律と保険に守られたイギリスのオステオパシーに対し、法の目をかいくぐって、自費診療でしか活路を見出せなかったフランスのオステオパシー・・・結果が全ての状況下で、フランスのオステオパシーテクニックが洗練されない訳がありません。
そんな中ポール・ショフールによる「メカニカルリンク」は、30年以上前、フランスにおいて誕生しました。
~ 続く ~
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五輪整骨院
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